自動車は、ガソリンがあるだけでは走りません。ピストンを動かす「エンジン(心臓部)」そのものが正常に機能していなければ、前に進みません。今の少子化対策で起きているのは、まさにこの状態です。 政府は「ガソリン(予算)を過去最高に注入しました!」とアピールしていますが、肝心の経済的・時間的ゆとりを実現する「若年者の生活基盤」というエンジンが錆びついていて、出生率上昇にむかった動きが鈍いというのが現実です。
(1)錆びついたエンジンの実態
日本の若年者(15〜34歳)の雇用実態を紐解くと、かつての「就職氷河期」のような極端な買い手市場(=仕事がない状態)は脱したものの、物価高に追いつかない実質賃金の低さ、依然として重たい非正規雇用問題、早期離職問題、未来への不安からくる強い転職志向などといった構造的な課題が見えてきます。以下では、厚生労働省の「令和5年若年者雇用実態調査」をもとに、4つのリアルな実態を解説します(下記に掲示した表は全てこの調査結果をもとに加工作成している)。
➀ 労働市場は「超・売り手市場」だが、分配(賃金)が追いつかない
少子高齢化による人手不足が深刻化しているため、若年者の就職率自体は高い水準を維持しています。しかし、「職があること」と「生活にゆとりがあること」は別問題です。
表1は若年正社員の転職希望率の推移を示していますが、25.7%(平成25年調査)から27.6%(平成30年調査)へと増加傾向を示し、令和5年調査では31.2%と30%の大台に乗っています。なぜ転職を希望するかという理由の令和5年調査のトップは、「賃金の条件が良い会社にうつりたい(59.9%)」となっています(表2参照)。同回答の数値は、平成25年調査の44.6%と比較して、約15%の上昇を示しています。
さらに、「労働時間・休日・休暇の条件がよい会社にかわりたい(令和5年調査)」が50%になっており、平成25年調査の40.4%と比較しても、やはり約10%上昇しています。このように、低賃金や労働条件改善の乏しさが、転職希望の大きな理由になっていることは明らかです。
表1 若年社員の転職希望の有無

表2 転職理由のトップ3

企業側は初任給を競って引き上げていますが、その後の定期昇給のペースが遅く、20代半ば〜30代前半(ちょうど結婚や出産を意識する時期)の「手取りの伸び悩み」が若年者を苦しめています。物価高(インフレ)が続く中、実質的な購買力は低下しているのが実態です。
②依然として重い「非正規雇用の壁」と経済格差
表3によると、若年者の非正規雇用の割合は、31.7%(平成25年調査)、30.8%(平成30年調査)に比べれば、令和5年調査では24.9%までに減少しているので、若年者の正社員比率は回復傾向にあるのは確かです。しかし、依然として約25%の若年者が非正規雇用(パート・アルバイト、派遣、契約社員)として働いている実態が続いています。
表3 正規労働者と非正規労働者の割合

表4は、非正規労働者として勤務した主な理由を取り上げています。ここで注目すべきは、「元々、正社員を希望していなかった」と回答した人たちはやや増加傾向ですが、令和5年調査でも19.6%にとどまっている点です。約8割近くの人は、正規雇用が望ましいが、様々な理由で正規雇用には至らなかったということになります。「正規雇用の壁」が依然として高いことに変わりはありません。
正規労働者と非正規労働者の間に存在する「昇給機会」や「賞与(ボーナス)」、社会保険の格差が、そのまま将来の経済的格差(結婚・出産の断念)に直結しているという状況にほとんど変化はありません。
表4 最終学校卒業後1年間に正社員以外の労働者として勤務した理由

③「早期離職」の背景にある理想と現実のギャップ
表5 最終学校卒業後初めて勤務した会社で現在も働いているかの有無

「入社3年で3割が辞める」と言われる若年者の早期離職ですが、表5によると、初めて勤務した会社をやめる離職率は令和5年調査では42.7%で、長期的にみて40%台で推移しています。最初に就職した会社を辞めた理由のトップ3をみると、「労働時間・休日・休暇の条件が悪かった(28.5%)」、「職場の人間関係が悪かった(26.4%)」、「賃金の条件が悪かった(21.8%)」など、若年者の価値観の変化が色濃く反映されています。
かつての世代のように「不遇や長時間労働に耐えて一人前になる」という価値観は崩壊しています。若年者は「タイパ(タイムパフォーマンス:時間対効果)」や「ワークライフバランス」をシビアに評価しており、タイパが悪く、私生活を犠牲にせざるを得ない職場からは足早に去っていきます。
④「見えない雇用不安」:キャリアの頭打ち感
現代の若年者は、単に「クビになる不安(失業の恐怖)」ではなく、「この会社に居続けて、自分は成長できるのか? 市場価値が上がるのか?」というキャリアの不安を強く抱えています。
終身雇用や年功序列が事実上形骸化するなかで、「マニュアル通りの単純作業ばかりでスキルが身につかない」、「古い体質の組織で昇進が見込めない」と感じた場合、若年者は自らの身を守るために、早期の転職を選択する傾向にあります。
この早期転職は、「キャリアピボット」と呼ばれ、これまでに蓄積した自身の「スキル」や「経験」を軸足として残しつつ、全く新しい業界や職種へ活躍の場を大きく方向転換を目指そうというものです。「キャリアピボット」は、キャリアの頭打ち感を打破しようとする意識を強く反映していますが、必ずしもうまくいくという保証はなく、将来の不確実性を内包した「見えない雇用不安」をつくり出しています。
⑤総合的評価
これらの実態を総合すると、若年者雇用の最大の問題は「失業」ではなく、「労働の対価(リターン)の過少さ」と「将来の見通しの暗さ」にあります。
人手不足で就職はできるが、手取りが低く、物価高で生活に余裕がないという経済基盤の軟弱さが多くの若年者に共通しています。経済基盤が軟弱な上に、働き方の条件(労働時間・休日など)が悪ければ、タイパを求めて即離職・転職を繰り返すという実態があります。その結果、生活基盤がいつまでも安定せず、結婚・出産という中長期のライフプランを描けないという悪循環に陥ることになります。
若年者にとって雇用とは、単なる「日銭を稼ぐ手段」ではなく、「自分の人生を設計するための土台(生活基盤)」です。この土台が「売り手市場」という言葉の裏で、低賃金とキャリア不安によって揺らぎ続け、「錆びたエンジン」になっているのです。
(2) ガソリン(少子化対策)の「種類」と「注ぎ方」の間違い
問題なのは、現在実施されようとしている少子化対策が、若年者の生活基盤の確立に有効かということです。結論を先取りすると、そこには、注がれているガソリンの種類と、注ぐタイミングに2つの大きなミスマッチがあることを指摘せざるをえません。
➀タイミングが遅すぎる「遅効性ガソリン」: 「児童手当や授業料・学費無償化」というガソリンは、未婚の若年者にとっては、少なくとも10年後にしか効かない超・遅効性の燃料です。まだ結婚もしていない、あるいは最初の一歩を踏み出せない20代の若年者にとっては、今すぐエンジンを始動させるための「着火剤」にはなり得ません。
②揮発性の高い「一時的なガソリン」: 1回限りの給付金や数年単位で変わるかもしれない手当は、若年者から見ると「いつ枯渇するか分からない不安定な燃料」です。数十年続く子育てという長距離ドライブに出発する安心感には繋がりません。
若年者に本当に必要なのは、給油ではなく「エンジンの修理(オーバーホール)」です。「エンジンがスムーズに回る」経済社会を実現するために、若年者の賃上げ、時短、将来の雇用不安の払拭などを中心課題とした労働市場の構造改革が不可欠になります。以下では、若年者の雇用実態をもとに、若年者の生活基盤確立のための政策的課題を明らかにしておきます。
(3) エンジンを動かす「3つのシリンダー」
若年者の経済的・時間的ゆとりというエンジンには、主に3つの気筒(シリンダー)が必要になります。これらが同時に、バランスよく連動して動くことで、初めて馬力が生まれます。
➀第1シリンダー:所得のシリンダー(若年者の経済的基盤) 「自分一人の生活で手一杯」という状態から、「これなら家族を養える、未来に投資できる」と思える手取りの多さと雇用の安定を確保する。
②第2シリンダー:時間のシリンダー(働き方改革) 残業や休日出勤に追われる生活から、「定時退社」や「リモートワーク」によって、男女ともに育児に時間を割ける環境をつくる。
③第3シリンダー:安心のシリンダー(社会の寛容さ) ワンオペ育児の孤立感やキャリア中断の恐怖がなく、どんな家族形態であっても社会全体が味方になってくれるという信頼感を若年者に持ってもらう。
学費無償化や児童手当といった「ガソリン」は、この3つのシリンダーがガチッと噛み合ってスムーズに上下運動している時に初めて、爆発的な推進力を生むエネルギーになります。

