今回は、前回提示した「経済循環メカニズムの数理モデル」を冒頭で示したフローチャートに沿って詳しく解説します。そのうえで、賃上げを起点とする波及効果を把握する際、どこに焦点を当てるべきかという「理論の核心」を論じます。
第1部:理論編ー循環のメカニズム 1.賃上げを起点とする「攻めの経済」循環メカニズム 1.1「攻めの経済」循環の概要と数理モデル 1.2経済循環メカニズムの概要と核心部分
(1)経済循環メカニズムの概説
本モデルは、6本の連立方程式から構成されています。これによって導き出される内生変数は、「物価」「労働生産性」「実質GDP」「雇用者数」「実質可処分所得」「資本ストック」の6個です。 事前に設定された外生変数の数値に基づき、これら内生変数がどのように決定されるのか、個々の方程式と波及経路(ルート)に沿って解説します。

物価の決定( (1)式)
マークアップ率と純間接税率が一定であれば、物価は「賃金(経路①)」と「労働生産性(経路②)」の相関によって決まります。
- 賃金: 賃金が上昇すれば、コストプッシュ要因となり物価は上昇します(正の相関)。
- 労働生産性: 生産性が上昇すれば、1単位あたりのコストが下がるため、物価は下落します(負の相関)。
実質可処分所得の決定( (4)式)
所得等税率が一定であれば、家計の実質可処分所得は「賃金(経路③)」「物価(経路④)」「雇用者数(経路⑤)」で決まります。賃金や雇用者の増大は名目所得を押し上げますが、最終的な「豊かさ」である実質水準は、物価で除することで算出されるため、物価動向に強く左右されます。
実質GDPの決定( (3)式)
平均消費性向が一定であれば、実質可処分所得に連動して「家計消費」が決まります(経路⑥)。家計消費は実質GDPの大きな部分を占めるため(経路⑦)、その増大は経済成長に直結します。また、民間設備投資(経路⑧)や政府支出、純輸出を集計することで、経済全体の規模(実質GDP)が決定されます。
資本ストックおよび雇用者数の決定( (6)式・ (5)式)
民間設備投資は、資本ストックを蓄積させます(経路⑨)。そして雇用者数は、技術水準を示す「労働装備率」が一定であれば、資本ストックの量に応じて決定されます(経路⑩)。
労働生産性の決定( (2)式)
こうして導き出された「実質GDP(分子)」と「雇用者数(分母)」の比率から、労働生産性が算出されます(経路⑪・⑫)。この労働生産性が再び物価( (1)式)へフィードバックされるという循環構造になっています。
(2)波及効果の核心:労働生産性の「不確実性」
「賃上げは実質賃金の向上をもたらすのか」「賃上げは経済成長を高めるのか」。 この問いに応えるための最大の鍵は、労働生産性のゆくえに集約されます。
賃上げと「実質賃金」の分岐点
今、マークアップ率や純間接税率を所与の条件とし、企業が賃上げを実施したと仮定します。このとき、賃上げが「実質賃金の向上」に繋がるか、あるいは「物価上昇」に飲み込まれるかは、生産性の動向次第です。
- 好循環: 賃上げと同時に「労働生産性」が上昇すれば、コスト増が相殺され、物価が安定します。結果、実質賃金は確実に上昇します。
- 悪循環: 生産性が停滞または下落すれば、賃上げは単純な物価高を招き、家計の豊かさは改善されません。
「雇用」と「需要」の論理的ズレ
ここで難問となるのが、労働生産性の算出根拠である「分母」と「分子」が、全く異なる論理で動いているという点です。
- 分母(雇用者数): 企業の技術選択(労働装備率)と投資判断によって決まる。
- 分子(実質GDP): 家計、企業、政府、海外という、多様な主体の行動総体によって決まる。
分母の「雇用」は企業のミクロな経営判断であり、分子の「需要」は社会全体のマクロな結果です。この両者が自動的に連動し、生産性が向上するという保証はどこにもありません。これが「労働生産性の不確実性」の正体です。
結論:不確実性を打破する戦略的同期
賃上げを実質的な豊かさと成長に結びつけるためには、単に給与袋を厚くするだけでは不十分です。
- 企業の積極的な技術革新(労働装備率の向上)
- 各部門の連動による着実な需要創出(実質GDPの拡大)
この二つを政策的に「同期」させることが、攻めの経済の最優先課題となります。あわせて、不確実な状況下で物価をコントロールするために、マークアップ率(利潤率)や純間接税率(税負担)を柔軟に調整するという政策的裁量も、極めて重要な選択肢として残されていることに留意すべきです。


