2.8 国民生活向上を実感できる実質賃金上昇と経済活性化の両立:2030年日本経済社会の針路

総論第1部

2.持続的実質賃金アップの実現条件 2.1物価指標の選定とデフレーターの動向 2.2 賃上げにもかかわらず実質賃金が下落するのはなぜか?2023年を事例に考える 2.3家計消費支出が経済を回す仕組みと着実な増加への条件 2.4 実質賃金アップに関するシミュレーション:ベースライン 2.5 設備投資拡大による経済活性化は実質賃金アップにつながるか? 2.6 AIを中心とする技術革新の加速は、実質賃金アップを実現するか? 2.7 企業等の粗利潤率の抑制は実質賃金アップに有効か、経済活性化は大丈夫か? 2.8 国民生活向上を実感できる実質賃金上昇と経済活性化の両立:2030年日本経済社会の針路

国民生活向上が実感できるほどの実質賃金上昇と2%を超える持続的経済成長。これらを2030年までに実現することは果たして可能なのでしょうか。その両立のための実現条件はどこにあるのでしょうか。前回までの議論を踏まえ、今回は「第2章 持続的実質賃金アップの実現条件」の総括として、日本経済が進むべき「ベストケース」の姿を描き出します。

シミュレーションの振り返りと「ベストケース」の定義

これまでの投稿記事では、2030年まで毎年3%の賃上げ(名目賃金)が継続した場合のマクロ経済への影響について、現状維持の「ベースライン」を起点に、以下の3つの個別シナリオを検証してきました。

・ケース1:民間設備投資の活性化

・ケース2:技術革新の加速(労働装備率の向上)

・ケース3:企業の粗利潤率の抑制

今回提案する「ベストケース」は、これら3つの要素を同時実現する統合シナリオです。このケースでは、2030年までに実質賃金上昇率と実質GDP成長率がいずれも前年比2%台に到達します。これは、実感のできる国民生活の向上と経済活性化が同時に達成されるきわめて理想的な社会像といえます。

ベストケース実現のための想定値

ベストケースにおける主要な想定値をベースラインと比較したものが表1です。

・民間設備投資:2023年を起点とした対前年比増加率は、ベースラインの約0.7%に対 し、ベストケースでは、3%の力強い伸びを想定します。

・労働装備率:ベースラインが0.2%弱の微増であるのに対して、ベストケースでは毎年1%の上昇、すなわち資本集約的技術革新が加速すると想定します。

・粗利潤率は、ベースラインが2023年の実績値0.817を2030年まで据え置くのに対し、ベストケースでは、毎年1%抑制していくと想定します。これにより、賃上げ分が過度に物価へ転嫁されるのを防ぎます。

表1 「ベースライン」と「ベストケース」の想定値の比較

ベストケースが描く2030年日本経済の姿

経済規模と労働生産性

実質GDPは、556兆7460億円(2023年)から2030年には646兆2830億円と、約90兆円も増加します。2023年から2030年にかけての実質GDP成長率でみると、2%台をキープしています。ベースラインは0.9%台ですから、ベストケースのほうが1%以上高い成長率を実現できることになります(以下、表2、表3参照)。

就業者数は、6855万人(2023年)から6882万人(2030年)へと微増に留まっています。

実質GDPを就業者数で割ってもとまる労働生産性は、2023年の810万円/人から2030年には940万円/人へと増加しています。2030年の労働生産性上昇率に注目すると、ベースラインでは0.49%ですが、ベストケースは1.73%で、両者に大きな差がみられます。ベストケースでは実質GDPが相当に増加するが、就業者数はほとんど変化しないために、必然的に労働生産性の上昇は高くなります。

就業者数(=資本ストック÷労働装備率)がほとんど変化しないのは、設備投資の毎年3%拡大で資本ストックは増加するが、同時に労働装備率も上昇すると想定しているからです。

就業者数はあまり増えないが実質賃金が相当に増加するので、家計の実質可処分所得が増加し実質家計消費支出の拡大を通じて実質GDPを増やします。それだけでなく、民間設備投資の毎年3%増加を通じて、それもまた実質GDPの増加に寄与します。これが労働生産性上昇にさらにフィードバックされることになります。

物価の安定と実質賃金の飛躍

労働生産性の向上と粗利潤率の抑制は、物価の安定に直結します。2030年のGDPデフレーター上昇率は、ベースラインの2.5%に対し、ベストケースでは0.84%にとどまっています。名目賃金(毎年3%上昇)は両者で同条件ですが、物価が安定するベストケースでは、実質賃金が455万円(2023年)から542万円(2030年)へと87万円も増加します。実質賃金上昇率をみると、2030年では、ベースラインが0.49%であるのに対して、ベストラインでは2.14%も増加しており、多くの家計で生活向上をはっきりと実感できるでしょう。

表2 「ベストケース」の主な変数のシミュレーション結果                              

   

表3 「ベストライン」と「ベースライン」の結果比較

実質賃金上昇と経済活性化が両立する経済循環メカニズム

両立の好循環のカギは、「労働生産性向上」と「分配の適正化」の同時進行にあります。好循環のメカニズムを示した図1を説明します。

➀3%の賃上げは本来物価を押し上げますが、粗利潤率の抑制(ケース3)がクッションとなり物価上昇を低く抑えます。

②3%の賃上げに対し、物価上昇がマイルドであるため、実質賃金がアップして実質家計消費支出が増加して、GDPを押し上げます。

③労働装備率を高める技術革新の成果を取り入れた設備投資の拡大(ケース1とケース2)によって、就業者数は微増である一方、実質GDPはさらに増加します。

④その結果労働生産性が向上し、物価上昇率は下落し、物価はさらに安定します。

②物価安定によって実質賃金にさらなる増分現象がみられ、実質GDPを押し上げます。

④さらなる労働生産性向上がさらなる物価安定をもたらします。

②さらなる物価安定によって、実質賃金にさらなる増分現象がみられ、実質GDPを押し上げます。 (図1参照)。

このように、④と②の間で、労働生産性向上と物価安定の好循環が派生し、実質賃金上昇と経済活性化の両立を強靭なものにします。

結論:2030年に向けての日本経済の最適解

・持続的な3%の名目賃上げを継続する。

・企業の粗利潤率を抑制して、物価上昇をマイルドに保つことで、実質賃金アップを起点とした消費主導型経済成長を軌道に乗せる。

・AI等の技術革新を伴う設備投資を促進して、実質GDP増加の後押しと就業者数の安定化によって労働生産性を向上させ、物価安定を実現する。物価安定がさらに実質賃金をアップさせ、消費主導型の経済成長の定着に導く。

分配の調整と技術革新による質の高い投資が組み合わさることで、初めて「生活向上の実感」を伴う持続的な経済成長が達成されるでしょう。これが、失われた30年を脱却し、豊かな国民生活を取り戻すための最善のシナリオです。